「ごちそうさん」の視聴率・・なぜ?初回視聴率が22・0%だったのか?


・・・「いただきます」と「ごちそうさん」

 9月30日にスタートした杏(27)主演のNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」(月~土曜前8・00)の初回視聴率が22・0%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だったことが1日、分かった。関西地区では18・2%だった。

 7年ぶりの20%超えでスタートした前作の能年玲奈(20)主演「あまちゃん」の20・1%を上った。ここ10年で最高だった09年後期の「てるてる家族」の20・9%をも上回り、最高のスタートを切った。

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「あまちゃん」は能年玲奈のイメージが良かったのか?
評判はおおむね良かったが平均し料率でみると歴代2位だったらしい。

【関東平均視聴率(過去10年分)】

20.7 梅ちゃん先生 堀北真希
20.1 あまちゃん 能年玲奈     ・・・・・暫定(8月17日現在 20.11%)
19.4 純情きらり 宮崎あおい
19.4 どんど晴れ 比嘉愛未
19.1 カーネーション 尾野真千子
18.9 てるてる家族 石原さとみ
18.8 おひさま 井上真央
18.6 ゲゲゲの女房 松下奈緒
17.5 風のハルカ 村川絵梨
17.2 てっぱん 瀧本美織
17.1 純と愛 夏菜
17.0 わかば 原田夏希
16.8 芋たこなんきん 藤山直美
16.7 ファイト 本仮屋ユイカ
16.2 天花 藤澤恵麻
16.2 だんだん 三倉姉妹
15.9 ちりとてちん 貫地谷しほり
15.2 瞳 榮倉奈々 
13.8 つばさ 多部未華子
13.5 ウェルかめ 倉科カナ

評判として、アイドル時代に入るとツマラナイといって違う番組見たりすることあったらしい
また、基本的に思いつきで浅はかな行動をする子だから「あまちゃん」だろ。
海女のほうがおまけだからと揶揄もされている。

NHKとしては震災について国民に「それでも頑張って乗り越えましょう」とメッセージしたいがために明るいキャラの脳年を起用し、無理矢理アイドル話に展開させるようクドカンに提案したのかもしれないが、それでもあの程度の描写でも抗議来たらしいし、話題になってた割には近年の朝ドラの中で視聴率が抜きんでる結果にはならなかった。

所で今期始まった「ごちそうさん」には少し期待している。
「食」がテーマな訳で主演の杏は食いしん坊と言う設定の割には痩せすぎている感が否めないが「あまちゃん」が震災でも負けないで「じぇじぇじぇ」と明るく乗り切りましょうという隠れテーマがあるなら、今回の「ごちそうさん」にも何かしらメッセージやテーマがあるからこの脚本なのだと思う。
食材の価格が急に値上がり仕出し、消費税増税8%も決まった昨今、NHKはこの「食」をテーマに何を言いたいのか?

ちょっと心の琴線に引っ掛かった。

 「ごちそうさん」は」ドラマ「JIN―仁―」を手掛けた森下佳子氏が脚本を担当する朝ドラ89作目。

大正・昭和を舞台に、東京の洋食店で育った食いしん坊のヒロイン・卯野め以子(杏)が大阪に嫁ぎ、手料理で家族を支える物語。

大正モダン華やかなりし東京。
卯野め以子(杏)は、父・大五(原田泰造)と母・イク(財前直見)が切り盛りする洋食屋でおいしいものを目一杯食べてすくすくと育ち子どもの頃から誰よりも食いしん坊だっため以子は、女学生となっても頭の中は食べ物のことばかり。下宿人の大学生・西門悠太郎(東出昌大)には、「何の魅力もない人間」と痛烈に批判される始末です。

しかし「食べたい」という思いが、いつしか「食べさせたい」という情熱に変わったとき、かつて祖母・トラ(吉行和子)が言っていた通りのパワーをめ以子は発揮することになります。
「食べたい気持ちが強いってのは、生きる力が強いってことさ」

そのあふれんばかりの食欲と愛情は、どんな困難な時にも、め以子と、め以子の大切な人々を支える原動力となります。そして、トラが幼いめ以子に伝えた「ごちそうさま」という言葉が、改めてめ以子の人生に大きな意味を持つことになるのです。

「食」は生きる事の基本の欲求だ。
確かに「生きる力が強い」と言うのはあっているのだと思う。
食べたいと言う事は生きたいと言う事だからだ。
そんな「食」に関しての「価値観」は世の中多種多様ある。
宗教上禁止されている食べ物がある人。
貧困が故、ジャンクフードが多くなり肥満が増える某大国の人がいれば、1日1食しか食べれない途上国の人。

逆に日本で毎日何トンも廃棄される食材がある。
和食ブームが他国に広がり、マグロの漁獲量が減っている事。
クジラやイルカを食べる日本古来の文化を他国に揶揄される事。
逆に犬やサルなど日本人としては信じられない生きモノを食材にする国がある事。
完全にベジタリアンとして生きている人がいる事。

あげればキリがないだろうが、他国の食文化を受け入れるのも否定するのも自由だ。
それは同じ日本人同士でも言える。

ちなみに、同じNHKの某有名和食料理の先生が講師の料理番組で、焼いたサバ塩とクレソンをサンドイッチにしている風景があった…。
食べたら美味しいのかもしれないがトーストした食パンにサバ塩半身をドーン、クレソンドーンとのせてあり、半分にカットした見た目にサバの焼けた血合の薄茶色の部分が見えていた。
まったく食欲をそそらずエキセントリックでかなりドン引きというか、こんなの出されたら本当にそのセンスにギョっとする(失笑)

「お酒なんかにも合います、今までのサンドイッチの歴史を変えて欲しい」
「美味しそう」と思うかどうかは人それぞれだが、たぶん歴史は変わらないと思う。
一般の主婦がこんなの子供のお弁当に持たせたら学校で変態扱いされそうだ。
NHKは「ごちそうさん」に何か意図があるのなら当分レシピには厳重なチェックを入れた方が良いと思える。

私自身、実は食べ物は何でもおいしいとされる地方の出身者で上京して初めて居酒屋で出されたホッケの小ささに「雑魚じゃないか!?」と、衝撃を受けた事ものだ。

実家に帰ると段違いで食材自体が美味しいので今現在「本当に美味しいものはここでは高くつくのだな」と実感したものだ。

食べる事は本来嫌いではない、だがもう食に期待する事が無くなり、高くつく食材にもわざわざ手を出す気にもなれず諦めているというのが本音だ。
「マズイ!」と怒りを露わにする事はないが黙って受け入れる、そんな食べ方になってしまった。

ある人は「生涯にあと○○食しか食べられないと計算が出たので、絶対おいしい物しか食べたくない」とその人なりの「おいしい」と感じる物しか食べないと言う。
マズイと感じるものを食べた場合シュチェーションによっては怒るか落ち込むらしい。

あるサイトでカップラーメンをいかにして美味しそうに見せるか?
【カップラーメンをどこまで豪華に撮影できるか試してみた!】
http://news.livedoor.com/article/detail/8105905/

食べたものを撮影してSNSで公開する人は多いが、写真がヘタだとマズそうに見えてしまうので今回はカップラーメンを例として、食べ物を豪華で美味しそうに撮影する方法をご紹介した内容だ。

使用するのは1個たった88円のイオントップバリュの『トップバリュヌードル』
やはりバリュー価格な味だとは思うが、写真を見た限りではちょっとしたカフェ飯とかアジア料理に見えてなかなか美しい。先の「美味しい物しか食べたくない」人のグルメっぷりをためしてみたい気もした。

そんな自称グルメな人やギャル?と言われる人に「○○パンケーキ」とか「オレの~」なんて行列のできる立ち食いの美味い料理店に人気が集中しているが
人気も廃れ通常営業になったら行っても良いが、到底並ぶ気になれない。
良い意味で期待を裏切られたら良いのだが、そもそもこの土地で食に対して期待値が向上しないのだ。

先の人なんかは正直「ケッ、井の中の蛙め」と思ってしまいバリュヌードルでグルメっぷりの鼻を明かしたい気分だ。
「私が真のグルメ」と豪語してるのではない、食べ物に強欲になり過ぎる人間がいる事で消えていく命が一つ多く無駄に増えてしまう事に怒りを感じるのだ。
食材には罪はない、その良しあしを決めるのは作り手の問題なのだと思う。

同じ日本人でも生まれた地域で食べる食材も味付けも事なるものだ。
東と西で生まれ育った夫婦なんかが食を共にする場合、やはりどちらかが好みをすり合わせないといけないのかもしれない。
だからどんな食材でも「美味しい料理」になれるかどうか?
そんな「食」を提供する人に責任があるのだ。

料理が好きな人には何らかの理由があると思う。
「食べた人に喜んで貰いたい」
「その人の胃袋と気持ちをつかみたい」
「自分の料理でアッと言わせたい」
純粋な愛情と支配欲そして「美味しい」という評価が自分の愛や思いのつまった料理に対する最大の肯定感→自己肯定感につながるのだろう。
ある頑張り疲れた女性がいる。
セレブと結婚したが離婚した女性がいて、その理由は「もう料理を作り疲れたから」だという。

金持ちでかなりの食通の旦那は食材にも料理にもかなりうるさく、晴れてセレブ専業主婦となったがその日の夕食の為に1日5,6時間かかっていたと言う。
そんな生活を10年ほど続けたがふっと「もう疲れた」と言うのが理由だ。
理解出来る様な出来ないような、旦那からその努力を奨励される言葉もなかったのかもしれない。
そして徐徐に愛情が薄れて行き、料理する気力も体力も消耗しつくしたのだろう。
そんな彼女のランチはカップラーメン1個、そして1度彼女お手製の「かぼちゃの煮つけ」をごちそうになった事があったが…「可も無く不可も無く」だった。

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私達人間は料理の完成された姿と味に対して評価する。
「美味い」か「マズイ」かで少し食卓の空気が微妙になったりする。
だから食材にはその持てる力を出し切れるよう料理する事がそして感謝する事が大切なのだろう。

「命そのもの」を頂くのだから、ヘタに作る事は言わば食材にとって無駄死に値するのかもしれないからだ。
私も猛省なのだが「いただきます」も「ごちそうさま」も言い忘れている気がする。
その食材の特性を考えて100%美味しくできるよう考えて料理した事がなかった。
私達は命を食べている。

人間に食べられる為だけに生まれてきた肉や魚という生命が存在する。
そんな命たちの心は分からないし、人間の心情を投影すべきじゃないのかもしれない。だが生きると言う事や食材たちの気持ちを代弁したかのような2つの漫画がある。

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「寄生獣」は謎の寄生生物が人間に寄生、人体を奪い他の人間を食べるために惨殺する…という作品だが作品の中でその寄生獣たちの言い分としては「人間も生きるために動物を飼育殺しているのになぜ我々が生きるために人間を食べたらダメなのか?」
確かに世界は人間が食物連鎖の頂点にいるからと言っても、他の生物の生きる権利を利己的な理由で奪うのは本来間違っているのかもしれない。
それに寄生獣は必要以上に人間を食したりはしないのだ。

「ミノタウロスの皿」は遭難し他の星に不時着した宇宙船パイロット。
その星は食物になる為に生まれた「人間」のミノアとそれを食べるその星の支配者の「牛」の惑星だった。

人間=食物、牛=人間という世界なのだ。
パイロットは美しく若く優しい女性ミノアに助けられたが彼女はその年の祝宴の大皿に乗せられる「血統のすぐれた肉食種」だった。
ミノアはそれを最高の名誉に思っており
「ただ死ぬだけなんて何のために生まれてきたのか分からない」
「あたしたちの死は、そんな無駄なもんじゃない」
「大勢の人の舌を楽しませるのよ」
「特別美味しかったら、永久に名が残る」
「競争が激しく、生まれた時からその日の為だけに努力するの」
「発育が悪ければそりゃみじめなもの」
「並肉でだめならハムかソーセージ」「もっと悪けりゃ畑の肥料…」
そしてミノアは誇り高く大皿に乗り「うんと食べなきゃいやよ」と助け出そうにも上手くいかないパイロットにそれを高らかに告げ民衆(牛)に手を振るのだった。

「いのちの食べかた」という映画もある。
誰もが毎日のように食べている大量の食品は、どのような過程をへて消費者の手に届くのか? 現代人の命を支えながらも、ほとんど知られていない食料生産の現場に密着。ベルトコンベヤーに注ぎ込まれるヒヨコの群れ、自動車工場のように無駄なく解体される牛など、大規模な機械化により生産・管理された現場の実態が映し出される。

人間に食べられる生き物たちがミノアのような感情はあるのだろうか?
私は「生け作り」の鮮魚系刺身等がどうしても食べられない。
「魚に感覚はない」とは言われるがそれを「生きが良くて美味しそう」と喜ぶ人にゾッとするし
中途半端に生かしている事に罪悪感や悪趣味だあるとさえ感じる。
鮮魚たちに自己投影しすぎだろうか?心が痛くて食べられないのだ。

それでも私も人間で生きるためにはどうしても食べなければいけない。
生物である人間は生物で命をつなげなければ生きていけないモノだからだ。

だからこそ余計に食と言う命に対して無下に扱ってはいけない気がする。
パートナーの田舎の特性なのか?客人にはもの大量の料理で人をもてなすのが因習がある。
その「食え食え攻撃」はある意味軽く殺意を抱く程のレベルでしかも何を食べても差ほど美味くない。

高齢の戦争を体験した義父は特に食べるのが好きで、冷蔵庫に入りきらない料理は常に食卓テーブルに乗りっぱなし。
1日中何かしら食べていて、老人なのにどこにそれを納めるスペースがあるのか不思議で仕方がない。

想像するに恐らく幼い時食べ物に困った世代だから、その反動ではないか?との想像に至り
「生きる力が強い」から戦争も乗り越え現在に至るのだろう。
気持ちは分かるがこの「食え食え地獄」を乗り切る事が出来ないのは
本当に飢えた事がない事と「無駄に命を消耗したくない」と思えるからだ。
だからと言って自分が義父より生命力が弱いとは思わない。
食物に対して人間も動物のように「必要な分だけ」頂く、何故それが出来ないのか?その疑問が強いのである。

やはり生き物が食べ物になる姿を見ると、人間とは強欲な生き物だと悲しくなるのである。

「じみへん」という漫画で母親の鳥が助けてもらった人間に鳥の食事情を聞かれる話がある。
人間「小鳥に餌をやるのに我慢できなくて食べちゃう事ないの?」
鳥「人間の母親と一緒で自分より子供たちが食べる姿を見る事が喜びなのです」
人間「自分の食事はどうするの?」
鳥「その辺のつまらない虫で終わらせます、だんご虫とか…すいません口が滑りました」
悲しいかな、食物に対して人間は優劣をつけるものという例話なのだと理解した。

食に関して価値観は違えど、我々が忘れてはいけないのは「命を頂いている」という事だ。
だからまずは料理をする人には食材にも愛を持って調理に励んで欲しい。
料理を提供する人には食べる人への「愛」が基本にあるのは間違いない。
やはり誰かの喜ぶ顔が見たい、誰かを食で身も心も満たしてあげたい。
それが単純に「とっても嬉しい事」だから。
今回の「ごちそうさん」には「基本的な愛情の話」だと思う。
だが食で誰かを喜ばせるためには「犠牲になる命」が必ずある事を決して忘れてはいけないのである。

もし脚本が完全に出来あがっていないなら、食材という「命」についても少し触れて欲しいモノだ。人間はこんなにも多くの命に支えられ生きていると言う事を。

御馳走様(ごちそうさま)=大切な客をもてなすため、馬で奔走して食材を調達した人への感謝を表す言葉。「ごちそうさん」より

ブームは廃れたが「大食い選手権」なる番組があるが、選手たちは自分の燃費の悪い胃拡張自慢だけに終わらず、人よりも多くの命を頂いているのだとちゃんと自覚して欲しい。
女性にはおごってくれた男性に対してじゃなく、食材に対して「いただきます」「ごちそうさま」と言って欲しい。

男性も忙しくわずかなランチ時に牛丼屋であっても少しだけ「いただきます」「ごちそうさま」と言って欲しい。

私達は皆「いただきます」「ごちそうさん」と少しだけ食べ物に感謝の心を持つ事の深い意味を振り返った方が良いのかもしれない。

 (執筆:ニコリン)

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