(文:ニコリン)
「もー超イラッとくる~!」
「なんでもっと要領よく出来ないんだろう!」
「またこんな無駄なモノ買って!!」
・・などなど、旦那さんや彼氏に対してイライラする事は誰にでもあると思います。
特に、共働きなら、お互いが仕事のストレスを抱えている分けですから、
イライラすることも、多くなるはずです。
私もそんな共働き主婦の一人で、
旦那がなんだかトロトロしていたり
自分の考えややり方とは違う方法を取られたりすると
「えっ?!どうしてそんな方法で?!」と
静かに怒りのボルテージが上がり
ついつい厳しい口調で接してしまい、
自分自身が一番「ご機嫌斜め」なるのです。
それって誰にとっても損でしかありえません。
旦那(彼氏)のやる事は気にいらないし、
仲は悪くなるし、何と言っても「仲直りをしなければならない」
頭のどこかで「自分は悪くない」と思っていても「言い過ぎました」と
謝らなければならない…納得しない限りはなんか屈辱
「だってワタシ悪くない!」
「私のやり方や考え方の方が正しいんだもん!」
「良かれと思って言っているのに、わかってもらえないんだもんっ!!」
そう思って納得しないまま仲直りしても、きっとまた同じ事が起こるはずでしょう。
ならば、イライラしなくなればいいそのためには
ケンカにならない2人だけの「キーワード」を作る
共同生活の足し算と引き算という「平等感」を持つ
2人で~する方が「お得」だと認識する
私はそう考えるようになり、30代前半の頃より主人と大きなケンカになる事はなくなりました。
①なぜ私はイライラするのか?原因を知る
「私は今、具合が悪くないか?」
体調不良というのは、自分でも想像以上にに気分の善し悪しを左右します。
各言う私は若い時に生理による体調不良「PMS」でした。
「月経前症候群」と呼ばれています。 生理が始まる前の約2週間に起こる、心とカラダのさまざまな不調のことで、生理が始まると自然に消えたり、軽くなるのが特徴です。
生理前2週間もなぜだか、暗い気持ちになりちょっとした事で
旦那(彼氏)を叱りつけたり、文句を言ったりして、
彼から見てみるといきなり「ケンカを吹っ掛けられた」と
同じ事だったのでしょう。
そしてフッと自分でも気がつくのです。
「あれっ?そういえばもうすぐ生理だった」
生理前私は、甘くてカリカリしたものが妙に食べたくなり
体もムクんで、食欲も増すし、ニキビも出るしバッチリ
「生理前ですよ~」と体が教えてくれているのに、
生理の数日前になってイライラの理由に合点がいくのです。
そしてそれに気がつくと不思議に食欲もおさまり、
イライラもなくなるのですが、残されたのは体についた脂肪と
ニキビ、彼との微妙な空気だけです。
あれから10年以上過ぎ、PMSは自然と収まりました。
今考えると、1カ月に2週間も不機嫌で過ごしていたなんて
もったいない事していたなと思います。
医療の専門家ではありませんが、PMSが起きるのは
女性の繁殖期として、もっとも能力が高い時期だったから
起きたのではないか?と想像してます。
また、婦人科にも行きましたが病院からは良い解消法を指導も
薬の処方もしてもらえなくて結局現状維持でした。
もし、思い当たる方がいるならその方に伝えたいのは
「もっと自分の体と向き合いましょう」
という事です。
気分=「体」は想像以上に連結してます。
多少具合が悪くても、無理してやらなければならない仕事や
物事は沢山あるでしょうが、心のどこかでは「それでもツライ」って
我慢できない思いを抱えていると思います。
それは風邪だったり頭痛だったり、寝不足でも同じだと思います。
「ブツブツ(吹き出物)が出るのは心にブツブツ(ストレス)があるからだ」
なんて言う言葉も聞いた事があります。
なるべく二次被害(彼とのケンカ)につながらない様に、
ご自分の体に目を向けましょう。
②ケンカにならない2人だけの「キーワード」を作る
そもそも旦那さんや彼氏と今なぜパートナーとして側にいるのか?を
今一度振り返ってみると良い。
最初は相手の見た目だったり、能力だったり
「自分自身が対外的に正当と思える理由」があり
交際に至るのだと思う。
だがお互い年を取り、そんな魅力も失われたとしても
2人が共に傍にいる理由の一つは
「2人だけにしかわからないお互いの魅力」が
あるからだと思います。
それは「居心地の良さ」だったり「共通の体験」だったり
「通じ合うもの」だったり目に見えない空気の様な
共通認識なのではないかと思います。
ある日、友人夫婦の面白エピソードを聞かされたのですが
友人夫婦はその時の出来事をさも
「スッゴイ面白いでしょ?バカでしょ私たち」と
楽しそうに話してくれるのですが、
残念な事にその面白さの半分も私は受けとる事ができませんでした。
確かにそのバカ話はその場で私も見ていたら大笑いしたと思うのですが、
やはり2人の世界の中での出来事なので共有しきれないのです。
そんな「2人にしかわからない出来事」はパートナーがいる人は
みんな少なからず持ち合わせていると思います。
各言う我が家では、ある言葉を大変重宝に使っています。
それは【愛】という言葉です。
これは全くノロケではなく、
我が家でのこの「愛している」の活用を見たら
これほど薄っぺらく多用され、
その価値をおとしめられている様に
どこかの団体からクレームが来るかもしれません。
●使用例としては・・・
恩着せがましく言う時には・・・
「私が今、嫌いなお風呂掃除をしているのはなぜだと思う?それはあなたへの愛!」
何かやってもらいたい時には・・・
「あなたは私を愛している?ならば洗濯物を干してちょうだい!愛をみせろ!ホレ動け!」
文句を言う時には・・
「あなたヒドイ!愛がみえないんだけど?今日の愛はどこどこどこ??」
やった事を認めさせたい時には・・
「みてみてみて!愛。どうョこの愛!」
などなど、他にも色々都合よく使っていますが、
大切なのは・・・
「お互いが面白がりながら日常的に言葉にする」点です。
「愛」という元々のパワーの強い意味合いには、
あまり納得できなくても、かなりの強制力があり、
そして何でも許されるというマジックワードであります。
「イヤだ」と突っぱねるととたんに・・
「あなたは私の事、愛していないの?」・・と言えます (^∇^)″
我が家では、「愛」という言葉が、
なかば「ギャグ言」の1つになっております。
しかし「愛」という言葉を日常的に言い慣れていると、
とても良いことがあります。
それは・・・
本当に怒りすぎてしまった際に「愛ね!愛」と、
いうことにより、その場の雰囲気を、修復不能にならずに
済ませることができる点です。
強制した事柄を拒否されてもそれを上回る大前提の
「2人の間の愛の有無」が問われてしまう為
お互いに「NO」と言えない状況を作り出しています。
もはや本来の意味の「愛している」の気持ちを伝えることからは
遠く離れてしまいましたので夫婦間に愛があるのかないのか?
疑問な所ですが、それでも面白半分に「愛してる」を活用しているうちは
円満夫婦と言えるのではないでしょうか?
険悪な状態に備えて「決めごと」を用意しておく